言葉が彩る二項対立ーソフィア・サマター『図書館島』

※以下、小説の詳細な内容に関する言及があります。

 

⑴ 読書の背景

 私はこれまで、さほど多くのファンタジー小説を手に取ってきたわけではありませんでした。あくまで指輪物語ハリー・ポッターシリーズのような有名な作品を読んだに留まり、したがってファンタジー小説の分野を知悉しているとは到底言えません。

 しかし同時に、ファンタジー小説を読む時、私はしばしば他の小説と比べて強い没入感を覚えていた気がします。動物ファンタジーの名品、斎藤惇夫冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で子供の頃に何度涙したことか。そしてアーシュラ・K・ル=グウィンの作品たちー小学校の図書館で偶然『影との戦い』と出会い、たちどころにアースシーの世界へと引き込まれて以降、ゲド、魔法、竜、そして多島海の人々が構成するあの物語群をどれほど読み返したことが分かりません。

 その後、ファンタジー小説に関する様々な本、例えばル=グウィンの『夜の言葉―ファンタジー・SF論』などを読み、人が没頭できる魅惑の世界の提示だけでないより広範な意味合いがファンタジー小説にはあり得る、ということはそれなりに理解しているつもりです。しかし、やはりあの没入感は癖になる。今回、本書の書名を偶然インターネットで見かけ、注意を惹きつけられた時も、私の第一の期待はそこにあったと言ってよいでしょう。

 

⑵ 本書の概要

 本書の目次は以下のとおりです(各巻の章は省略)。

巻の一 奇跡の風

巻の二 ベインの町

巻の三 <聖なる町>

巻の四 天使の息吹

巻の五 槍の並ぶ庭

巻の六 南へ

  本書の舞台は、その地理的な位置づけがコンスタンティノープルを思わせる首都ベインを中心に、南北を海に挟まれて東西へと延び行く国土を持つオロンドリア帝国と、その遥か南の海に浮かぶ紅茶諸島です。オロンドリア帝国は、文化・風土が異なる幾つもの地域を併呑しつつ拡大してきた歴史を持ち、王の下に宗教色の強い統治が敷かれている国です。従来は王家の始祖たる女神アヴァレイへの信仰が盛んでしたが、現在の王の治世ではその信仰を否定する<石>の教団が正統と認められています。一方、紅茶諸島は東南アジアを想起させる熱帯の島々で、密林と霧の中、少数の神官、豪農を含む農民、漁労民等が共同体を作って暮らしています。

 本書は、主人公ジェヴィックの回顧録という形をとっています。紅茶諸島の一島で広大な胡椒農園を営む富農の次男として生まれ、知的障害を持つ兄ジョムに代わって農園の跡取りとなった彼は、父がベインから連れ帰ったオロンドリア人の家庭教師ルンレによってヴァロン、すなわち書物への愛を啓かれます。島で話される言葉には文字が無く、彼の人生は話し言葉の世界に属していたのですが、今や彼は書き言葉の世界への、そして書物に活写されるオロンドリアの地への思いを滾らせるようになります。

 父の死後、農園の主人として商売の采配を握るようになったジェヴィックは、ついに商用でベインを訪れる機会を得ます。その往路、彼は不治の病に侵された少女ジサヴェトと出会います。かつては患者が焼き殺されるほどに人々から忌み嫌われる遺伝性の病ーキトナを癒す微かな望みをかけて、彼女は母親らとともにオロンドリアへと向かっているのです。文字を知らないまま間もなくこの世を去ることになる彼女に、ジェヴィックは書物の効用ー記憶と違っていつまでも残る本の素晴らしさを教えます。

 ベインに到着した若旦那は、世界一の都が放つエネルギーに中てられたように、町、人々、そして本に熱中します。しかし、果てもないと思われたその興奮が頂点に達した<鳥の祭り>の翌朝、彼は突然ジサヴェトの幽霊に憑かれ、その運命が一変することになるのです。

 「自分の遺体は不適切にも土葬されてしまい、地に沈んで腐りゆく。このために自分の魂は幽明の境に留まっている。遺体を見つけ出し、火葬して昇天させてほしい。」「そして、自分のことを本に書き残してほしい。あなたが永久に消えないと言った、その本に。」この2点を要求する幽霊ーいわゆる「天使」の強い思いは、激烈な頭痛をはじめとする筆舌に尽くしがたい苦しみの底へとジェヴィックを突き落とします。しかし、<石>の教団の教義では天使の存在は認められておらず、ジェヴィックは、王宮が所在するベイン北方の<浄福の島>、その一角に精神病の患者として幽閉されます。

 書かれた言葉を崇高なものと捉え、壮麗な図書館を築き上げた<石>の教団が統べるかに見える<浄福の島>にはしかし、彼らの支配にしぶとく抵抗するアヴァレイ教団の一派が勢力を温存していました。彼らはジェヴィックに、民衆を集めた交霊の儀式ーいわゆる<夜の市>を開き、ジェヴィックが天使との交わりを誇示して、天使の実在、ひいてはアヴァレイ信仰の正統性を広く世に知らしめることに同意すれば、彼を島から脱出させてジサヴェトの遺体を引き渡す、という取引を持ちかけます。天使がもたらす苦しみから解放されることを期待したジェヴィックはこれを受け入れ、教団の大神官アウラムやその息子ミロスらとともに島を抜け出して、帝国中心部のファイアレイスから東部へと向かう旅が始まります。

 王朝の監視をかいくぐってなんとか<夜の市>の開催に漕ぎつける一行でしたが、まさにジェヴィックが交霊を行っている最中、王の軍が<夜の市>を急襲します。辛くも虐殺を逃れたジェヴィックやアウラム、ミロスは、帝国の更に東ー荒涼たるケステニヤへと逃避行を続けますが、ついに追手に捕捉されてしまいます。重傷を負ったミロスを連れたジェヴィックは、ケステニヤを彷徨った挙句、かつて王たちが一時滞在所として使っていた館の廃墟へと逃げ込みました。糧食も尽き果て、何も手を打たなければ死を待つのみという状況下、彼らが生きるための手助けー食べ物のありかや助けてくれる人々のもとへの道案内、そういった助力を天使が提供することの見返りとして、ジェヴィックはついにジサヴェトの本を書くことに同意します。

 廃墟の図書室でジェヴィックが書き留めたジサヴェトの生涯は、被差別民ー紅茶諸島における魂の象徴である人形「ジュート」を持つことができない最下層の民でありながら、好奇心と負けん気の強さで彩られ、賢明な父から多くのことを学ぶエネルギッシュなものでした。しかし、キトナの発症は全てを変えてしまいます。分けても、キトナが明らかにしたジサヴェト出生の秘密は悲惨なものでした。彼女は、母親がキトナの遺伝子を持つ海賊に拉致・監禁され、強姦された結果として生まれた子供であり、慕っていた父の実の子ではなかったのです。以後、ジサヴェトの家族は悲しみの中で自壊していき、一縷の望みにすがって治療のために北方へと旅立った彼女も願い叶わずその短い人生を閉じることになったのでした。

 この悲しい物語を書きつけるジェヴィックはしかし、執筆を通じて天使ージサヴェトと深く心を通じ合わせていきます。そしてミロスも大怪我からほぼ回復したケステニヤの春、かつて彼らを襲った追手から首尾よく逃れおおせていたアウラムがついに、ジサヴェトの遺体を携えてジェヴィックのもとにたどり着くのです。ジサヴェトへの想いに後ろ髪を引かれながらも、ジェヴィックは彼女の遺体を荼毘に付し、ここに彼女の魂はようやく天へと昇っていきました。

 その後ジェヴィックは、アヴァレイ教団や民衆たちー長らく書き言葉の勢力に支配されてきた人々が、<石>の教団に対する内戦を開始したことをアウラムから聞かされます。このとき彼は、<夜の市>が、王朝側による虐殺を引き起こして大衆に<石>の教団への復讐心を高めようとするアウラムたちの企みの一環であったことに気付きます。おそらくはジサヴェトの物語を執筆する過程で書物への愛が一層強まっていたであろうジェヴィックは、アウラムたちの書き言葉への挑戦を怒りとともに否定し、オロンドリアでの体験を通じて得た言葉に関する知見を胸に故郷へと帰っていきます。そして、文字を持たなかった紅茶諸島に書き言葉と書物を根付かせようと、知識の伝道師としての人生に入っていくのでした。

 

⑶ 本書の評価

 本書を次々とよぎっていく情景の作り込みは通り一遍でなく、その描写は時に沈鬱、時に華麗、いたるところに言葉のデコレーションが散りばめられています。本書がジェヴィックの回顧録という体裁をとっていることを考えると、修辞へのこだわりはジェヴィックの言葉への愛を反映したものということなのかもしれません。いきおい翻訳は相当な難事業であったかと思いますが、訳者の市田泉氏は、言葉の装飾と文意の明確さのきわどいバランスを崩さずに訳しきっているように思えます。

 しかし一方で、⑴で言及した「世界への没入」という期待については、あまり満たされたとは言えませんでした。多分に感覚的なその評価を綺麗に分析することはできませんが、さしあたり以下のような点が指摘できるかと思います。

 まずはジェヴィックのキャラクターでしょうか。今まで自分が読んできたファンタジー小説は、主人公に周囲から際立つ何かしらの特性が付与されていたように思います。ゲドしかり、ハリー・ポッターしかり、フロド・バギンズしかり、周囲よりあらゆる面で優秀というわけではないにせよ、彼らだけが有する特性と向き合い、時に葛藤することで、物語の焦点が彼らに当たる局面が出てきます。しかし彼らとは違い、ジェヴィックの個性は比較的薄く、ジサヴェトをはじめとする他の個性を描くための下地のような人物に見えます。もちろんそういう機能を果たす主人公がいても良いと思いますが、彼の印象がどうしても薄くなってしまったこともまた確かです。

 プロットに関して言えば、書き言葉と話し言葉の二項対立が一つの主題であることは間違いないでしょう。アウラムが言う「冷たい羊皮紙か、生きた肉か」(327頁)の対立ということです。しかし、この対立の深刻さの度合いというか、アヴァレイ教団が<夜の市>の虐殺を誘発してまで内戦に突き進むに至った理由がよく理解できないのです。例えば、アヴァレイを祭る<鳥の祭り>が首都ベインにおいてさえあれほど盛大に行われているというのに、<石>の教団による圧制が本当に広く行き渡っているのか?実際、<夜の市>の開催を目指してファイアレイス以東の地を旅するジェヴィック一行は、民衆の間で生き生きと受け継がれる口頭伝承の数々と出会うのです。このような状況下、話し言葉への書き言葉による圧殺が印象付けられる場面はついぞ無かったと言ってよいでしょう。

 また、本書にはこの二項対立よりさらに基本的な二項対立ー差別・被差別の関係が織り込まれているように思います。この点についてはジュートを持てない被差別民ホタンであったジサヴェトが典型的であるほか、知的障害を負って暮らすジョムと彼を矯正しようとする父、彼を侮蔑する義母、このような関係への言及もその現れであるように思います。しかしこの観点を導入するならば、オロンドリアにおいて書き言葉が話し言葉を圧迫しているという前提の下、本書中の被差別側が無意識に差別側に立ってしまう危険性を指摘しなければならないかもしれません。すなわち、ジサヴェトが「ヴァロンって何だかわかったわ」「ジュートよ」(312頁)と言う時、自身がジュートを持てないホタンとして差別されてきたにも関わらず、ヴァロン=ジュートとすることで、書き言葉を読めないオロンドリアの大衆たち(天使に全知性が備わっていることを示唆する記述は随所にあり、当然彼女にも非識字層の存在は認識できたはずです)をオロンドリアにおけるホタン側に追いやってしまっているように思えるのです。もちろん、この点はまだ未成熟な子供の誤謬ということに留めるべきなのかもしれませんし、あるいはジュートの絶対性を微塵も信じていなかったであろうジサヴェトがヴァロンに注ぐ道具主義的な眼差しの現れと捉えてもよいのかもしれません。しかし私には、差別・被差別の立ち位置が、無意識に、悪意でなく、容易く転換しうることを示唆しているようにも見えます。

 最後に、内容の評価から離れ、『図書館島』という邦題について検討しましょう。⑵で述べた粗筋からも分かるとおり、本書の世界で一見して「図書館島」と言えるのは<浄福の島>しかありません。本書の装丁もこのイメージに沿ったものとなっています。しかし、この島でジェヴィックが過ごす時間は重要ではあるもののあくまで<夜の市>の準備段階に過ぎず、しかも島での主要なイベントは話し言葉側であるアヴァレイ教団との邂逅なのです。したがって私は、本書を読んでいる間ずっと「この邦題は不適切」と指摘しようと考えてきましたー最終章においてジェヴィックがチャヴィ、すなわち賢者あるいは先生としての道を歩み始めるまでは。ここに至り私は、内戦がオロンドリアの書き言葉を破壊してゆく中、ジェヴィックの故郷ティニマヴェト島こそが、書き言葉の避難所、そしてヴァロンの保管庫、つまりは「図書館島」となった、ということではないかと考えるようになったのです。そして、私の考え方が正しいとするとこの邦題は、原題の直訳『オロンドリアの異邦人』よりも物語の顛末をさらに色濃く反映した良い題名である、と言うべきでしょう。

 

 

図書館島 (海外文学セレクション)

図書館島 (海外文学セレクション)