形而上へのガイドブックー藤本隆志『哲学入門』

⑴ 読書の背景

 これから読む本を選ぶ時、私は明確な問題意識から読書の分野や特定の本を演繹することは滅多にありません。自分の書棚を見渡し、何となく気になった本、当面は没入できそうと感じられる分野、そういったものに手を伸ばすことが多いです。ただし、同時に私は、過去の思考や経験が無意識に及ぼす影響や、その無意識が行動に及ぼす影響は比較的強いものと信じています。したがって、「何となく」は過去のごった煮から滴る一滴の煮汁のようなものであり、その感覚には一定の根拠があるように思えるのです。

 今回、何となく哲学の本を手に取り、しばらくはこの分野に身を置いてみようと思ったのは、若年のみぎり、哲学をよく知ろうとしないまま、軽侮と後ろめたさをもって放擲したことに端を発しているのかもしれません。すなわち、自然科学的事実と数学的論理の厳密性に憧憬を抱き、これらを至上のものと信じた当時の私は、形而上の議論とみなした哲学をあっさりと切って捨てたのでした。しかしまた、自身が勉強を迫られ、あるいは好んで本を読む様々な分野ー例えば法学、政治学歴史学文化人類学といった学問において、哲学上の議論がしばしば前提として登場し、それらを前提であるがゆえによく分からないながら受容せざるを得なかったことに、ぼんやりとした情けなさを感じていたことも覚えています。加えて、その後の人生で紆余曲折を経る中にあって、自分の心情も大きく変化し、高度に形而上的なテーマである幸福、あるいは価値、こういったものをしばしば追求するようになったこと、これも今回の選択に影響しているのかもしれません。

 ともあれ、大学の授業で聞き流し、あるいは数冊の本を気ままに読み散らして得た哲学の知識は全て脳内から散逸しており、再びその門を叩くところから始めなければなりません。自分の書棚にあった入門書は、藤本隆志『哲学入門』とバートランド・ラッセル『哲学入門』の2冊でしたが、後者は過去に読み散らした数冊の一つであることもあり、今回は前者を手に取ることにしました。

 

⑵ 本書の概要

 本書の目次は以下のとおりです。

序 哲学とは?
Ⅰ 人間(人間とは何か;〈私〉はいつ人間になったのか;論獣かつ倫獣としての人間;〈私〉と「人間」)
Ⅱ 世界(存在;われわれに与えられたもの;「もの」と「こと」;時空)
Ⅲ 知識(体験知と記述知;信念と知識;意味の追求)
Ⅳ 行為(行動と行為;知識と行為;事実と当為;経験と当為;理想追求型の近代的行為とその結末)
Ⅴ 価値(価値の諸相;体験される価値;価値的性質と自然的性質;追求される価値)
結 再び哲学とは?

 本書は「哲学の旅行案内書」であると謳っています。哲学の大まかな見取り図を示し、議論の雰囲気を感じさせ、読者が自分の興味の方向性を知る手助けをする、そういう意味でしょう。

 最初に著者は、哲学とは智を探求する営為のことを指すのであって、特定の知識体系のことを指すのではない、という最も基礎的な留意点を強調します。その上で、哲学的議論の対象となっている諸分野から幾つかを選び出し、それぞれについて著者の立場から議論を展開していきます。

 例えば、Ⅰにおいては人間や「私」とは何かが論じられます。そこでは、物理的な存在としてのヒトは、生存に必要な弁別能力を言語能力を備えることで獲得し、同時に言語能力を通じて社会性を獲得することで、論獣・倫獣としての人間になるとされます。そして著者は、その人間として偶然に生まれついた「私」は、人間たる自分の生を自分で主体的に切り拓かねばならないとし、「私」を哲学的議論の中核として位置付けます。

 また、Ⅴでは価値論が取り扱われます。著者は、それが窮極的には「私」が生きる目的であるところの「よく生きる」ことと密接に関係していることから、価値論に対する「最重点の哲学的関心」を表明しています。そして、高次の全体的性質として「よさ」の概念を定義した上で、「私」が生きる世界を価値に満ちたものとすることで「よく生きる」ことができるとするのです。

 この他、存在論に関する議論(現象の始原性と、当該現象を言語によって彫琢した事実の重要性を強調)、知識論に関する議論(主格の区分を厳格かつ単純に適用することへの批判、他者と適切な関係性を維持することの必要性等について言及)、行為論に関する議論(存在と当為のギャップを経験概念の導入で埋め、それによって理想主義的な近代的当為に加えて具体的苦痛の阻止を目的とする当為を導入しようと企図)が展開されています。

 

⑶ 本書の評価

 著者が展開する議論の細部には違和感を感じる部分も少なくありません。具体的には、「〇〇である場合が存在するのであれば、一般的に××である」という類の飛躍が見受けられることや、しばしば個物を議論の対象とするがゆえに経験や概念に対して当該議論を適用できないのではないかと思われる場合があること(特にⅤにおける価値論)等が挙げられるでしょう。

 それにも関わらず、同じくⅤにおける議論を借用すれば、本書を全体として評価すれば私にとって「よい」本だったということになります。それは、本書が「旅行案内書」としての役割をよく果たしてくれたように思うからです。

 例えば、「哲学とは、智を愛求する営為のことであり、特定の学問分野のことではない」という、恐らく学堂・市井を問わず哲学者なら当然と思っているのであろう点の明確な指摘。哲学を特定の知識体系とばかりイメージしていた私にとって、これから歩いていく方向を修正する重要な示唆であったと言えるでしょう。

 あるいは、「私」を議論の中心に据える観点の提案。主客の区分の厳格な採用と後者への高い評価を続けてきた私の思考に対する対案と言えるものであり、これをどう位置づけるか、一つの予定が組まれたと言っていいでしょう。

 そして、哲学的議論の各分野について、その雰囲気を大まかにでも味わう機会の提供。自分がどの分野に関心を持つかを認識できたこと、すなわち認識論・知識論ではなく価値論に惹かれることの自覚、これにより当面の目的地を設定できたということになります。

 そして何より、読後に「しばらくこの分野の本を読んでみようかな」という気にさせてくれたこと。偶然ながら自分の気質にそぐう入門書であったと言うべきであり、この幸運を得た以上、「哲学」という営為が私にとってどのような意義を持つものであるのか、しっかりと学び、しっかりと吟味していかなければなりません。

 哲学的議論が帯びる様々な側面のうち、論理性、厳密性に惹かれて哲学を志す向きには、あるいは他の入門書ー例えばラッセルの『哲学入門』が適切かもしれません。しかし、少なくとも何らかの理由で形而上性を志向し始めたゆえに哲学の分野に入ろうとする人にとって、本書はよい導入となってくれるものと思います。

 

哲学入門

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